最後の教え



昨日、仕事中の夕方、親父からLINEが届きました。
ま~たパソコンが壊れただのそっち系かぁ~、なんてため息交じりで開いてみました。

書かれてたのはたったの二行の文。

訃報です。
〇〇先生が亡くなりました。


確かに溜息案件だった。
同時に体の力が一気に抜けました。

その後の仕事はあまり身が入らなかったのは言うまでもありません。月末締めと請求業務があったけど、今思えばよく終えれたな、と。でも一人でやってたのは逆に良かった。すぐに手が止まって溜息ついてたから。

ー ー ー ー ー 


その先生は私が小学校の時に一年だけ担任になってくれた方。
たった一年間だけだし、二年生の頃という遠い記憶の彼方にも成り得るくらい昔の担任の先生。

人生の中で「恩師」という存在は決して多くはないはずですが、私が連想するなら真っ先に出てくる人。
その貴重な存在の一人でもあるくらい、お世話になった方です。
※以前、日記で書いてました。詳しくはコチラ

その方が亡くなったと。

ー ー ー ー ー 


先生との思い出はホントに色々あるけど、上に貼ったリンク先の件がデカい。
特に父の件。

一昔前、警察沙汰にもなり、新聞沙汰にもなった
父。小さな町にとってそれは大きな衝撃となり、多くの人が離れ、多くの人が非難した。

全然規模は違うけど、昨今のニュースにも通ずるとこありますね。
実際はどうか分からないのに目にした情報、耳にした情報だけで騒ぐ人たち。
本人から発信じゃないのに鵜呑みにする人たち。

非難囂々ってやつ。
大体、ロクなもんじゃないです。
一人が二人に、二人が三人になるとそんなもんです。

そんな中でも味方でいる人はいるってこと。
それをすると自分も巻き込まれてしまうだろうに、そうする人もいるってこと。

数少ない人の中で先生もその一人でした。

歳を重ねたから分かる。
色んな人を見てきたから分かる。
そんな人はホント貴重だってこと。

ー ー ー ー ー 


ひとつ後悔があります。

リンク先でも書いてますけど、私が新聞投稿をする度にお手紙をくれました。
それも何回も。

しかし仕事の忙しさとかにかまけてしまい、最近は全然投稿をしなくなってたんです。
そこから連絡は途絶え、ご無沙汰になってた時に振ってきた訃報。

もっと投稿しておくべきだった。

もっと連絡しとけばよかった。


それが昨晩、残業中にずっと頭に思い浮かんでたこと。


最後の最後に先生からこう言われたような気がします。


人生は思った以上、短いのよ。
だからやれる時にやれることをしておきなさい。


と。

ふと涙が出ました。
亡くなった後に教わるなんて、ダメな教え子です。

ー ー ー ー ー 


遠い記憶に居る幼子の私に対してめっちゃ厳しくしてくださったから今の私があるのでしょう。

一昔前に苦難のふちに立った両親に対してめっちゃ優しく、暖かく包み込んでくださったから今の私があるのでしょう。

哀悼の想いよりも感謝の想いが大きい。
それも圧倒的に。

もう姿を見ることは出来ない。
もうあの笑顔に会うことも出来ない。
それでも記憶の中の凛々しい姿はいつまでも健在すると思います。

ー ー ー ー ー 


あの日、教壇に立ってくださり、そこから始まった教授が一先ず終わりだと思うと寂しいです。

でもここからも私の人生は続きます。
先生のいない世界で私の人生は続きます。

どれくらいあるのか分かりませんが、感覚では思ったより短いのかもしれません。
だからやれることをやろうと思います。

いつかお会いすることが出来た際には、精一杯生きましたという報告、そして私の人生のお話をしたいと思っておりますので、そのときは是非とも褒めてください。
あの頃のように。

本当にありがとうございました。

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