ジャニーズ問題が見せた情報の闇



今日はふと思ったことをつらつらと。



ここ数年で人ひとりに対する情報の量、そして種類が余りにも増えすぎている。

TVや雑誌だけだった入り口は広がり、インターネットを介してSNSやYouTubeなど、それこそ手を延ばせば無限とも言えそうなほどの量の情報が入ってくる。
そしてその種類もそれを生業にしていたプロの方一択だったのが、その垣根が分からないほど誰もが発信し、誰もが見られる状況だ。

分かりやすい等式として、情報=ニュース、だと思う。
NHK、Yahoo。。。
一昔前では安心と信頼の場所だった。しかし今ではそこから入る情報でさえ、間違ってることがある。
Yahooに関してはその情報は、どこの誰が記入してるのか知らない場合でも堂々と批判的内容が掲載され、何万という人がそれを見ている。
何というか、週刊誌のゴシップ欄を見ている感じ。
一体何が真実で何が嘘なのか。

一方で変わらないものとして、時間がある。
古今東西一日は24時間だし、一年は365日という事実。

絶えず変わらず、限られた一日という時間の中、こちらは日々増加する情報を見聞きして、どれだけの選択をするのだろう。

いつかパンクする。
いや、もうパンクしてるんだと思う。
いつしかあふれる情報によって人が選択されている。

いつか退化していく。
いや、それも始まってるんだと思う。
いつしか限られた時間に迫られ、考えることよりも単に選択することだけで済ませてる。
そして分けられる善悪。
悲しい形だ。


特に昨今のジャニーズ問題を見てて強く思う。

今となっては本来の性加害問題とは違った方向のニュースばかりピックアップされてもう飽食状態。

というかですよ。
関連ニュースで飛び火して、勝手に炎上してる木村拓哉さんはすごいと思う。
ここ数日、氏のニュースが私のPCホーム画面やYahooに記事として載ってないことがない。
誰が書いたか、何の根拠か分からない情報がずらりと。しかもほぼほぼ批判的内容で。
記事でよく見る「芸能関係者」って誰だろう?そう書けば信憑性が出るのかな、といつも思う。

普通の精神なら耐えられないと思う。
それが事実であれ虚偽であれ、絶えず攻撃対象にされてるんだから。
そういった情報を閉ざしてるのかもしれないけど、現状閉ざせないと思うし、何らかの形で本人にも入ってきていることは間違いない。

尊敬の基準を「好き嫌い」にしたらつまらないと思っている。
良し悪し問わず、自分には出来ないことをしている人に対して、すごいなぁ(良い意味でも悪い意味でも)と思う気持ちはいくつになっても持っていたい。
それが犯罪などの場合、軽蔑になるだけ。
それが敬う部分があれば尊敬になるだけ。

まぁ好き嫌いで言えば、私はキムタクどストライクの世代だから好きですけどね。


近い未来、本当に有川浩著書「図書館戦争」の世界みたいな言語統制の時代が来るのかもしれない。いや、来ないとこのままでは人が人でなくなる。

それが嫌なら情報の発信に制限をかける必要があるだろうけど、難しいかもしれない。
そういう意味ではXが全て有料化になる、という流れがある意味、時世に沿ってるのかもしれない。
個人的にはFacebookの規約通り、全て実名にすればいいだけでは、とも思う。

特定された誰かを傷付ける情報を発信するなら、
発信者も特定されるべきだと思う。


色々と便利になり過ぎてる弊害がどんどん出てきている。
いや、単にICT活用教育が追い付いてないだけなのかな。

悲しいニュースは仕方ない。しかし見ていると悲しくなるニュースが少しでもなくなりますように。




何か固い文章になったので、せめて最後は夢々に癒してもらいます♪


はい、ふわふわ可愛い~



今日はこの辺で。
ではでは~

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