このよはでっかいたからじま




「マンガばっかり読むな!」


「いつまでアニメ見てるんだ!」


子どもの頃、父親によくこう言われた。
けれどもこれは我が家だけではなかったと思う。
私が子供の頃は「マンガは子供が読むもの」という風潮が世の中にまん延してた。幼少期ならまだしも、年を重ねるにつれて大人たちから上記のような言葉を浴びせられる機会が増え、読み続けることに対して、どこか背徳感を持つようになってくる。

しかし世はジャンプ、マガジン、サンデーといった週刊誌御三家が全盛期ともいえるマンガ黄金時代。いくら大人に邪魔されようが、周囲に溢れる面白いマンガたちを読まないわけがない。止められるわけがない。

そんな時代を過ごしてきた我々が大人になった今でもマンガを読んだり、アニメを見たりすることを続けている。
きっと少年時代に見た作品が今でも愛され続けてることも大きいだろう。

そのなかでも圧倒的頂点に立つマンガがある。
それが「ドラゴンボール」
もう説明なんかいらないほど、地球規模で愛されている作品。


幾多の歴史を積み重ねてきた人間を作ったのが神様ならば、世界中の人々を夢中にして「大人になっても好きなマンガを読んでも良いんだ」という考えの人を生み出し、世の中を変えたドラゴンボールの作者も神様だと言って良いと思う。

神の名は鳥山明。

そんな偉大なる神様の訃報が今日、発表された。



いや~参りました。
私がこれに気付いたのはお昼休み。
会社の車に乗って休んでるときに目にした。
「あまりの衝撃で言葉が出ない」とは正にああいうことなんだろうな、、という状況だった。
思った以上に私に衝撃が走ったようで。。

ふいに涙が出てきた。
これには自分でもちょっとビックリした。

ドラゴンボールという作品自体が無くなったわけではない。それでも涙が出た。
恐らくもう新しい鳥山明作品に出会えないという悲しみの涙。
ふいに幼少期の思い出が蘇ってきた懐かしさの涙。
そしてドラゴンボールに出会えた感謝からの涙。
全部、入ってたと思う。

お陰でお昼からは仕事をする気が全く起きなかった。家に帰って何かしらの鳥山明作品に触れたくなったくらい。

推しを失うというのは本当にツライ。。
仮にB’zのお二人が逝去されたら、どんな反応するのか。考えただけで恐ろしい。。
まぁ号泣するんだろうな。
イカンイカン、不吉なことをいいおってからに。。


でもね、
やっぱりいつかそういう日も来るんですよ。

人は死に対して悲しみという感情を持つ。
その喪失感はしばらく続き、大切な存在のありがたみをより強く感じることになる。
けれどもその感情もやがて時間の中で少しずつ新しい情報に埋もれていく。
そして次の死を目の当たりにすると、また悲しむ。その繰り返し。
人って未熟ですね。


どれだけの人が「かめはめ波」のポーズをとったことだろう。

どれだけの人がお風呂場で髪を洗ってる時、「スーパーサイヤ人」を真似して髪を立てたことだろう。

どれだけの人が「俺なら絶対、筋斗雲に乗れるはずだ」と思い込んだことだろう。

そしてどれだけの大人が今日、悲しみと感謝の気持ちをもったことだろう。


文字通り、世代を超えて今でも世界中で愛されている「ドラゴンボール」という作品。
きっと人類が生き続ける限り、語り続けるはず。
連載終了後も人々に愛され続けたことで今日まで来たのだから。

何も特別なことはしない。
ただただ明日も変わらず、ドラゴンボールを始めとする鳥山明氏の作品を愛し続けるだけ。

でもさすがに今日は一つの節目です。だから言わせてもらいます。


鳥山明さん。幼少期からワクワクが溢れる大冒険の世界を見せていただき、ありがとうございました。
「この世はデッカイ宝島」という言葉を胸に、明日からも貴方が作った作品を愛し続けさせてもらいます。


心よりご冥福をお祈りします。

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