夕方のニュースで谷村新司さんの訃報を聞きました。
面識のない芸能人であれ、知っている人の死というのは、やはり心がざわつき、悲しくなる。
谷村新司さんのあのトーンが変わらない関西弁交じりのトークや、温かさしか感じられない笑顔はとても大好きだった。
そして楽曲。そんなに知っているわけではないが、ベタに言えば「サライ」。
もう「上を向いて歩こう」レベルの国民認知度なんじゃないかな。
大体の人があのサビを口ずさむことが出来るはず。それってすごい事ですよね。
子供のころから夏の終わりにはあの曲を聴いてきたと思う。年に一回しか聴かないけど、確実に胸に焼き付いている。
それは愛されてきた長い歴史がある作品だけが為せる技。
人の死に直面した時、こう思う。
自分は明日、死んでしまってもいいと思えるほど、今日を一生懸命生きたのか?と。
毎回、答えは同じ。そうだとは言えない。
でもこれってどんな状況でもそう思うのではないかな。
誰だって生きていたいから。
その先によくある言葉が連想される。
今日、自分が適当に生きた一日は、誰かが生きたくても生きれなかった一日だ。
もしくは
〇〇の分まで一生懸命生きよう。
という言葉。
そうではないはず。
私は私。あなたはあなた。
それぞれの人生は自分のためにある。
自分のために生きる必要がある。
だから知っている人の死を受け止めて、その度に自問自答すればいいと思ってる。
アリスのメンバーである矢沢透さんが言っていた「若さも灰汁も抜け、新しいアリスの始まりに、、」という言葉には憧れしかない。
年を取るということに対して悲観するのではなく、楽しみもしっかりあるという人にしか言えない言葉。
そういう風に年を重ねたいな。
今、applemusicで「昴」を聴きながら、この日記を書いている。
とても心地が良く、どこか懐かしいメロディ。
そして透き通った声。しかし哀愁感はどこにも感じない。ただただ谷村新司さんがあの優しい顔で、斜め上を見上げながら歌ってる姿しか見えない。
歌と楽曲というのは永遠に残るとは、こういう感情なのかな。
谷村新司さん、同じ時代に生き、貴方の楽曲を聴き、貴方の人間性に触れられたこと、とても幸せでした。ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
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