物価高、という言葉が頻繁に飛び交うようになってどれくらい経つのだろう。
その都度、「またか、、」という言葉が漏れなくセットで付いてくる状態なのも、悲しいかな今となっては日常的だ。そして同時に自分のいやらしさとも対峙するようになっている。
例えばお菓子を買って開封すると、以前よりも中身が少なくなってると感じる(いや、実際そうじゃないかな?)し、ペットボトルの飲み物もいつの間にか500mlではない商品があったりする。
それを手にしたとき、「まぁ仕方ないか」と情勢に同情する部分もあれば、「何か騙された感じもするなぁ」と卑しく思う部分もある。
でも「同じ内容に戻して値段を上げても買いますか?」と企業に聞かれたら、、嫌だと思うはず。
全くを以てケチな性格だと思う。
しかし企業もあらゆる努力をしているのは何となく分かる。
世界情勢などはみんながニュース等で分かってはいても、どこか他人事にしたいと思いたい。
だからそれが普段買っている商品の価格や内容にダイレクトアタックされると嫌だろうな、ってのは企業としても分かりきってる。
ましてやそれが二度三度、と繰り返し行われる現状なんですから。
だから断腸の思いで決断してるに違いない。
それでも現実は確実に値上がりもしているし、中身の減少などを行ってるので、売上等にも影響があるのだ。
そこで考えられる対策の一つが
如何にキャッチなコピーで購買意欲に訴えるか、
という行為。
これも立派な経営努力。
そんな中私は今日、ドラッグストアにてある商品を前に足が止まってしまった。
その商品名は
「まったりポタージュスープ」
いやいや、ちょっと待ってくださいよ。
「まったり」ってどういうこと?
人間の感情にポタージュが介入するの?
・・・・と思いきや、味わいにコクがある感じという意味みたいです。
学が無い私は「まったり」と聞けば、落ち着いたさまだったりといった、いわゆる人間の気分を表した言葉だと思ってた。
だからこれを見た瞬間、
「ナニナニ?これを食べればまったりするのかい?」とか「それともまったりした時以外、食べちゃダメなのかい?」
と、たかがポタージュスープに対して、どエライ上から目線の感情をぶつけてしまっていた。
危ない危ない。そのまま憤りの感情を書いて、後で一人で恥ずかしがる最悪の公開処刑を受けるところだった。
※敢えて公開してますw
全くを以て浅はかな性格だと思う。
何はともあれ、ごめんなさい。
いや、勝手に自滅したパターンなんですがね。
それでも煽ったお詫びに、
しっかり買わせてもらいました。ちゃんと頂きました。とても美味しかったです。
不思議と体がいつも以上に火照るのを感じた。
芯からあったまったからなのか。それとも自滅の恥じらいからなのか。
後者に違いないので、今日はこの辺で。
ではでは~
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