さらば、青春の方舟よ


今朝の新聞で松山~小倉間のフェリー運航終了の記事を見た。
春先から知っていた事実。
そうか、あの思い出の船がなくなるのか、、と分かった事実。

でもなんだか遠い未来の話だと思ってたのかもしれない。
それでも確実に日々は過ぎ、昨日が最後の松山発の便だったようだ。

思えば20年以上前の春。
18歳の世間知らずな田舎の少年が一人で乗船し、未知なる福岡へと旅立った。

初めての一人暮らし。

初めての福岡。

誰も知り合いがいない大地。


ただただ心細かった。

出発は22時前。今から夜も更けていくのに全く寝られない。
荷物を盗られるかもしれん。。なんて不安もあるから、少年は大きなバッグをからったまま、船内をうろうろしていた。

誰もこない甲板の端で、夜な夜な一人ラーメンを食べた。

誰もいない深夜のゲームセンターで1941かなにかのシューティングを1プレイした。

誰も知り合いがいないから何の気なしに喫煙室でタバコプカプカ吸っていた。


次第に白けてくる空。
遠くに見える福岡の大地。
小倉の船着き場近くのビルには4つのネオンがポツポツと光っていた。

船内アナウンスが流れ、到着を告げる。
その瞬間、「ヨシ、行くか」と思えた。
どうやらこの船が寄り添ってくれたおかげで、少し不安がはがれ落ちたようだ。

少年は小倉駅へと向か、、、、、わずに、全然知らないから何故か西小倉駅までタクシーに乗り、そこから電車で福岡市内へと向かった。


全部、覚えている。
愛媛を初めて離れたあの日の船について。

あれから幾度、乗船しただろう。
不安だらけで始まった福岡もいつの間にか、居場所ができ、第二の故郷といっても良いくらいの土地となった。

それでもこの船に乗り、愛媛に帰るときはいつだって嬉しくなる。
朝日に照らされた松山観光港を見る度に心が躍り、ふるさとの大事さを教えてくれた。

そう思えば逆に愛媛から福岡へ戻る際、同じように朝日に照らされた小倉の街を見る度に、ホッとする気持ちにもさせてくれた。

乗船する度に感情を一時的に預けて、それぞれの故郷に裸で入ることが出来た。

すべてあの船があったから持てた感情。
すべてあの船に乗ったから生まれた想い。


淋しい気持ちもあるが、それ以上に感謝の気持ちが大きすぎる。

大袈裟ではなく、あの船があったから今の私がある。
それくらい何度も乗れたことに感謝している。


もう二度と乗船することはできない。
それでも思い出はいつでも胸の中に。
遠き過去の私はいつでもあの甲板で空を見上げている。


ありがとうございました。

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