時間がかかるということは輝きを放つ。



今朝、新聞を読んでいると、ある記事で心が躍った。
パリパラリンピックのボッチャ個人戦にて銅メダルを獲得した遠藤裕美選手の記事だ。

メダルを取得したのは勿論、素晴らしいこと。
しかし目を奪われたのがそこに書かれた一言だった。

「時間はかかっても、輝けるものは取れる」

人は時間をかけた物や行動に惹かれる。
ある程度、年を重ねた人や多くを経験した人ならば「続ける」ということが如何に困難だと知っているから。
何を、どのように、などの肉付けはいらない。ただただ続けるという、そぎ落とされたシンプルな行動。
しかしこれは簡単ではない。

「このままでいいのか」という不安も。
「この道であっているのか」という迷いも絶対あると思う。
それは道を閉ざし、諦めさせるには充分な壁。

そこを道を開き、諦めなかった人が・・・なんて簡単には言えないって。
そんな簡単ではないって。

道に迷うこともあるし、立ち止まることもある。
間違うこともあるし、傷を負うこともある。
けれども何とか続けてこれた。
その経験が輝く自信となる。
それでも!!と続けた自分が後に誇らしくなる。

その先に何か形となるモノを取得出来るかもしれない。そこから先は自分の満足。けれど恐らく周りの人はもうその人の輝きに力をもらっている。


そんな人は沢山いるでしょう。
仕事でも趣味でもどんな道でもいい。
それぞれ自分の道を歩いてる人にとって、こういった言葉やニュースは糧となる。
だから称えたくなる。
だから嬉しくなる。
だから輝いてみえる。
単にメダルが輝いてるだけではなく、遠藤選手自体が輝いてるのだと思う。歩いてきた道が後光となり、より光って見える。

そしてこの功績を素晴らしいな、と思える自分もちゃんと誇らしいと思いたい。
大丈夫、それでいいんだ、と。

遠藤選手、おめでとうございます。
良い言葉をありがとうございます。


今日はこの辺で。
ではでは~

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