この言葉、昔コピーバンドをしてた時に言ってたw
カバーなので、ちょっとミスってもそれがオリジナルになるという逃げ台詞。当時は名言だと思ってました。
前にもちょっと書きましたが、ある季節にはこれを聴きたい、みたいな曲が私には結構あります。
そんな私が今、聴いているのがコレ。
これはいつだ・・・・?
そう、2003年の秋に発売された作品。
今、もう20年も前なんだという時の流れに、軽いショックを受けた。
松本孝弘氏が青春時代などに聞いてた邦楽をカバーしたCD。
因みにこれよりも7、8年前には洋楽のカバーアルバムは作ってたので、それの邦楽版ってことです。
選曲は大体、60年代~80年代の作品ばかり。
しかしサウンドは大体打ち込み主体ですし、どっぷり松本ギターが込められてるので、古さは感じられず、むしろ聴きごたえはあります。
後はカバーならではというか、原曲と比べると印象と色が違うのでとても興味深い。
その理由はアレンジとかもあるでしょうが、一番はやっぱりキーを変えてるから。
分かりやすいのが
「雨の街を」と「時に愛は」の二曲。
御存知、「雨の街を」は荒井由実氏。
「時に愛は」はオフコースの作品で、両方哀愁感たっぷりのバラード。
だけど両方、原曲とキーが違って、
「雨の街を」は半音上がってて、
「時に愛は」は半音下がってる。
半音って曲調がガラリと変わりますよね。
♯か♭かでメジャー、マイナー調のどっちかに転がる感じ。
それが見事に相まって曲が作る世界観が全然違ってるのが面白い。
「雨の街を」は原曲はマイナー調が強いのに、こっちではメジャー調が出てくる。
「時に愛は」では全く逆の効果があり、こっちではマイナー調が強くなる。
こうしてキーが変わって歌われた曲は、少し色が違う。
例えるならばオフコースの「時に愛は」は9月の空。TAKの「時に愛は」は11月の空。という感じ。
同じ秋なんですが、二か月違うだけで空は全く色が変わる。
この感覚は日本人ならではなのかもしれませんが、後者の方が濃く、少し寂しさがある感じ。
「何言ってるんだコイツ・・」って思うでしょ?大丈夫。
私も思いますw
でも哀愁って抽象表現のセンターですから仕方ない。
B’zは去年からサブスクの配信を開始してますが、このアルバムはカバーなので、残念ながら配信には対応してません。
まぁ権利的にNGなのは分かりますが、いつかこういったカバー曲も配信で聴けるようになるといいなぁ。福山雅治氏の「Golden Oldies」とか久しぶりに聴きたい。
この先、20年後くらいにはB’zをカバーした曲が出てくるようにもなるのかな。
そんな自由な音楽が聴ける未来を楽しみに待っておこう。
今日はこの辺で。
ではでは~
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