人はみな違う。
それは当たり前。太陽が東から登るのとおんなじ。
でも分かってるようで分かっていないのが人間。
違うな・・・分かってる人はたくさんいる。
訂正します。
分かってるようで分かってないのが私という人間。
自分と他人の距離を縮める手段の一つとして最もポピュラーなのが会話。
よく言うじゃないですか。「会話という名のキャッチボール」って。
アレは正にウマいこと言ってるな~って思う。今回気付いたのはちょっと変わった意味だけど。
キャッチボールと聞くと大体の人が野球を連想すると思う。野球というか野球のボール。
言葉という野球ボールを互いに投げ合いつつ、「この人は高めの球は苦手なんだな」とか「あ~、ちょっと強めに投げちゃったわ」など相手の気遣いをする。
すると相手が受けやすいような球を投げるようになり、距離が縮まる。
と、これがフツーの解釈。
フツーのキャッチボール。
でもね、最近気付いたのは別の解釈。
例えば自分は野球ボールを投げてたつもり。というか投げてたけれども、相手からしたらそれはボウリングの球だと感じることもあるのだ、ということ。
重たい重たい。んなのミットに入らない。というか逃げるわそんな球。
もしくは野球ボールを投げてたけど、相手からしたらシュークリームだと感じてるのかもしれない。
つぶれるつぶれる。ミットで捕ったらベチャーー!ってクリームが出ちゃう。そんな球も捕れないって。
受け手が悪いわけではない。
かといって投げ手が絶えず気にしてないといけないってわけでもないと思う。
ただそういうケースもあるってこと。
それに気付いたときは時すでに遅し。
覆水盆に返らず。
剛球柔球我に返らず。
「違う違う、それ野球のボールや」なんて言っても遅い。
その時はもう相手の左手が骨折してるか、顔面がクリームまみれなのだから。
しゃあない。って言葉じゃ済まないのかもしれないけど、しゃあないのだ。
謝罪も良いが、何より心に忘れないように刻んでおきたい。
かといって「嗚呼、、ダメだなぁ」と思い詰めることもしたくない。
難しいですね。
ただ思うのはキャッチボールは必ずしもマストな手段ではないってことかな。
しなくてもいいときもある。
話し合えば絶対通じるなんてないんだから。
人それぞれの距離感、大事。
今日はこの辺で。
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