必ず最後に勝つもの。



特定の世代以上の人に「必ず最後に?」と聞くと、恐らく全員が同じ言葉を言うと思う。

今日、愛についての歌を我々に浸透させてくれて、誰よりも愛の強さについて歌ってきた方の訃報をニュースで見た。
61歳。早すぎる別れ。

とはいっても私はそこまでファンだったわけでもないし、ニュースで久しぶりに名前を聞いたというのが正直の感想。


ふと今日、改めて「愛は勝つ」を聞いてみたんだけど、ちょっとびっくりしてしまった。
なんてナチュラルに歌詞が入ってくるんだろう、、と。
こんなストレートな歌だったんだ。
変に難しい言葉を使っているわけではないし、深い内容でもない。
着飾るものがなにもない素っ裸の歌。
故にスッと心に染みる。


この歌が発表されたのが1990年。私が小学生の頃。
当時、兄貴がこのCDを買ってきてうちでもよく聞いてたし、TVでもよく聞いた。だから歌詞は自然と覚えてたし、今でもそらで歌えるくらいだけど、その内容を考えたことはなかった。

それに成長と共に「最後に愛が勝つ」なんてあり得ないし、愛なんて言葉は恥ずかしい。という考えになってたときがあったと思う。

今思えば思春期がそうだったのかな。
単に格好つけてただけだったり、途中で投げ出してたからだろうけど。

でも年を重ねた今、改めてこの歌を聴き、心に染みたってことは私も余計なものが取れてきた証拠なのかもしれない。


歌詞にもあるように続けること、実行すること。
これが如何に難しいか今となってはよく分かる。
年を重ねて色んな経験をするなかで、沢山傷付いてきたし、沢山傷付けてきた。
そんな中、「それでも」と言い続けることがどんなに大変で、そしてどんなに輝いて見えるのか、今なら分かる。


「最後に愛は勝つ」といっても、愛という不特定な何かが救ってくれるわけじゃない。救ってくれるのは人だと思う。
だけどその人ってのは、困難にくじけそうになった時も諦めずに立ち上がる自分を見てくれて、何かを感じてくれた人なんじゃないかな。
だから愛ってのは自分の行動だったり、言動から生まれ、始まるものなんでしょうね。

この辺はB’zの「光芒」と同じ解釈が出来ると思う。

KANさんは30年以上前からそれを歌い続けてきてたんですね。
少しもブレることなく。


最後というのがいつなのかは分からない。
死がそれを意味するのか。それとも歩みを止めたときなのか。
それでも続けた先にしかないと、KANさんが教えてくれた気がする。何故なら今日、ニュースやSNSで訃報を悲しむ声を多数見たから。何十年も愛について歌い続けてきたから、最後にみんなの愛が溢れたんだろうなぁ。歌が素晴らしいだけじゃ、きっとこんなに愛されないだろうから。
やっぱり愛は勝つんだな。


KANさん、私たちに愛の強さを教え続けてくれてありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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